言葉と道具の壁を越える
新しいサービスのコンセプトを考えて最適化していると
他のことも出てくるものです。
今日出てきたのは
自分でも以前から意識していたのですが
言語化されたのは初めてという部分でした。
『言葉と道具の壁を越える』
どういうことかと言いますと、
どうも私が手に入れたり、
身につけるスキルには
特定の法則性があるということです。
例えば、今、手に入れているスキルというと
・パーカッションの演奏
・バイクの運転
・プログラミング
・ライティング
・メヘンディ
どれも言葉が通じるかどうか
関係のないことばかりです。
言葉が通じなくても
伝えられるし楽しめるスキルです。
そして、もう一つが
「体一つで、どこででもできる」
ということでしょうか。
・楽器は機材にこだわらない。
・パソコンは動けば何でもOK。
・バイクは走ればOK。
・ペンや紙にもこだわらない。
・メヘンディは描く道具を現地で作る。
おそらくですが、
言葉の壁や国の法律や規則にしばられない。
そして、自分が居ればできること。
こういうことに興味が湧くようです。
反対に、
・道具が揃わないとできない
・環境が揃わないとできない
・自分の機材じゃないとできない
というのは、あまり好きではありません。
可能なら、自分の機材でやるのが何でも楽です。
それは間違いのない事実ですが、
なければ無いでできるスキル。
そして、自分の機材を創り出すスキル。
こちらの方にフォーカスしている
ということがわかってきました。
おそらく、
ニューヨークのラティーノが多い地域
キューバの街角
アラブのストリート
太鼓というものがある場所なら、
命の危険はともかくとして、
現地の人と楽しめることは間違いありません。
また、
どの国でも、プログラムの修正はできるでしょうし
システム構築もできるでしょう。
ライティングも同じだと思います。
メヘンディは、
肌を露出して外出しても許される国なら
7割の女性に受け入れられ、
一人くらいは泊めてくれるかもしれません。
『言葉と道具の壁を越える』
これは私のテーマなのかもしれません。
そんなことに気づいた日でした。