具体的な語りはペルソナへの思いで決まる
2017/03/22

精華町くるりんバス
今日は一ヶ月ぶりに国会図書館に記事を執筆しに行きました。
家の近くのバス停から国会図書館近くまで、乗り換えなしで行けるので便利なのですが、バスの運行が1~2時間に1本なのがネック。
そして、家の近くのバス停から国会図書館まで約50分掛かります。
しかし、乗車料金が100円なので文句を言ってはいけません。
ありがとうございます。日比野新です。
このバスの乗客のターゲットは70歳以上。
地域のコミュニティーバスなのです。
近くに買い物できるところがないので、お年寄りの足として精華町が運営しています。
かと言って私たちが乗ってはいけないことはなく、自治体としては出来ればいつも乗って欲しい。それが本音。
そんなコミュニティーバスでの会話を聞いていると、
具体的に語るとはこういうことなんだ。
そんなことを感じる会話を聞きました。
Aさん:昨日、生協で「ぬか」買うてん。
Bさん:えっ、買うたんかいな。「ぬか」農協行ってみ。
Aさん:農協にあるん?
Bさん:○○さんとこが、農協入って右に「持って帰ってください」言うて置いたはったで。
この具体的な会話は、農協に行ってないと話せない。
なんのことはない日常会話ですが、この会話を聞いたとき「どうしてそこまで具体的に話すんだろう」と思ったのです。
でも、よくよく聞くとその理由は、
誤解がないように。相手が間違わないように。
相手のことを思うからこそ、より具体的に語っている。
相手のことを考えずにこの会話があったとしたら、次の一言で終わるはず。
「農協にあった」
理屈や方程式で「具体的」な語りや文章を駆使するのではなく、なぜそうするのか。
ペルソナ設定した相手にどうしたいのか。
ここが決まると必然的に語りや文章が、そのペルソナへの思いにつられて「具体的」になると、私は考えています。
ですから色々なところで他人の会話を聞いておく。
会話がない新幹線や飛行機の中は音楽やオーディオ教材を聴くのが良いと思いますが、会話が飛び交っている場所では聞かないともったいない。
そんなことを思った「くるりんバス」の中でした。
あなたも覚えがあると思います。
気になる人には、具体的に丁寧に話したこと。
逆に、そうでない人には、大雑把に話したこと。
それでは、また。